■8日、本多劇場で哀しい予感を観た。周囲の人からもこの舞台のことは本当によく聞かれたし、チケット代も本多劇場ではありえない7800円と言う高価なもの(通常4〜5千円)だったが、あっという間に売れてしまいネット上では高額な取引があったという。どこなんだろう?皆の注目の根源は。
それは会場で加瀬亮ファンの多さに驚きながら気づくことになるが、このキャストでよしもとばななの原作、塚本晋也の演出といったらそれは注目を集めるところだらけ故の当然の状況かもという気にもなる。
それを運良く最前列のセンターという良席で観れたのだけど、すると今度は近すぎて見えないものも当然出てくる。それでも私はなるべく前のほうで役者の息づかいを感じながら観るのが好きだ。テキスタイルがとても可愛かったので2階部分など見切れてまったのは残念だったが、背に腹はかえられない。舞台って、自分がなにを観ているかによると思うんだけど、どこから観るかってすごく重要。

■あえて感想を言うならば、なぜ映画を撮らなかったんだろうという疑問になる。よしもとさんのお話の中でも一際ロマンチックな(ご本人は少女マンガ的だとおっしゃっていたが)この作品がとても平面的に見えた。例えば、水の入っていないじょうろで造花に水をやる場面や、中身の注がれていないティーカップでお茶を飲む場面など、弥次喜多風に言うならば「てんでリアルじゃねえや」といった箇所の多さにつまずいてしまう。(すいません、さっき弥次喜多みてたので。抜け出せてません)役者が、セリフ半分、状況説明半分でストーリーを進める演出は好きだったが、リアルさに欠ける世界ではそのうっとりするような場面までも疑ぐってしまいなかなか響いてこなかった。
あまりに原作どうりの表現は、塚本さんのこの作品への愛情を感じるが、それだけに釈然としないもやもやを抱えて劇場を出る。きっと映画ならば心の声ももっと劇的に映るのではないだろうか。と思うのだけどどうだろう。

プラスの発見としては市川実日子のただごとではない美しさ。あれはちょっと人に何か起こさせる力があるんじゃないかと思うほどの。目を剥くほどの可憐な美人だった。